気が付くと麻衣は、闇の中を歩いていた。 ―――ああ、あそこに行かなきゃいけないんだった。 ぼんやりと考え、足を進める。 ―――大丈夫。何も心配することなんかない。 ひたり、ひたり、ひたり ―――ただ、行けばいい。そうすれば・・・ 唇の端がつり上がり、笑みの形になる。 嬉しくて、叫びだしそうだ。決して声は上げられないけれど。 そんなことをしたら、全てが台無しだ。 連中は、意外と侮れない。気取られたら厄介なことになる。 ずっと、ずっと待っていた獲物を逃がすわけにはいかない。 条件に符号する、貴重な血と肉を――― ここまで思考したところで、前方の闇の中に白いドアが浮かび上がった。ようやく目的の場所に辿り付いたようだ。 ゆっくりと歩み寄り、手を伸ばす。 ―――やっと、手に入る。 ドアノブまであと少し、触れるか触れないかというところで突然、横から伸びてきた手にそれを阻まれた。 そのまま手首を掴まれ、すごい勢いで引っ張られていく。 引きずられるように歩いているうちに、あれほど高揚していた気分は 嘘のように消え去った。 でも、自分を引っ張って歩いている人がわからない。 この人は誰だろう? 知らない人だと思う。でも、なんだか気になる。 どうして? 「あなた・・・誰?」 問い掛けると、その人はぴたりと立ち止まった。 「ここまで来れば大丈夫かな〜」 そんなことを言いながら、振り返る。 この人・・・知ってる気がする。でも、わからない。何もわからない。 「あなた、誰?どうして私はここにいるの?」 ぼんやりと聞き返したら、顔を顰められた。 この人がこんな表情をしたら、誰かに似てる。ずっと見ていた気がするけど、誰だっけ。 「あー、まだ抜けきってないね〜」 彼はそう呟いて、私の目を覗き込んだ。 「僕の目を見て」 真っ黒な瞳。深い深い、夜の色。なんだか吸い込まれそうな気がしてくる。頭の中に霧がかかっていく。意識が霞んでいく。 「僕の声をよく聞いててね。とても大切なことだから。他の事を考えてはいけないよ」 独特のリズムで、ゆっくりと彼は喋っている。この声は、聞かなければいけない。それは、とても大切なことだから。 「声に出して、ゆっくり数をかぞえてごらん」 言われるまま、数をかぞえる。 「いち」 「キミは人間だ」 「に」 「日本人で、」 「さん」 「女の子」 「し」 「年齢は17歳」 「ご」 「高校生で、」 「ろく」 「渋谷でアルバイトをしている」 「なな」 「そこには大切な人達がいる」 「はち」 「だからキミは独りじゃない」 「きゅう」 「僕が名前を言ったら、キミは全てを思い出す」 「じゅう」 「キミは谷山麻衣だ」 ぱちん、と指を鳴らす音が響き渡ると、麻衣の瞳が急速に光を取り戻した。 「あ、あれ?ジーン?」 至近距離にジーンがいて、驚いたらしい。あたふたと周囲を見回している。 ジーンはその様子にこっそり安堵の吐息を漏らしながら、無事を確認した。 「気分はどう?自分のことがわかる?」 「ヘイキだよ。ちゃんとわかる。あたしもしかして、こっちでも寝てた? ちょっと違うんだけどね、と苦笑して話を続ける。 「麻衣はさっきまでのこと、覚えてないよね?」 「うん。全然覚えてないよ」 しっかりと頷くのを確認して、彼は自問する。彼女に今、全てを話すべきだろうか。 ――答えは、否。今、全てを話すべきではない。ここでのことは一部を除いて忘れるようにはするが、危険が大きすぎる。それにまだ、時期ではない。 そう結論を出し、彼は口を開いた。 調査に関する重要なことを、伝えるために。 |