05

気が付くと麻衣は、闇の中を歩いていた。
―――ああ、あそこに行かなきゃいけないんだった。
ぼんやりと考え、足を進める。
―――大丈夫。何も心配することなんかない。
ひたり、ひたり、ひたり
―――ただ、行けばいい。そうすれば・・・
唇の端がつり上がり、笑みの形になる。
嬉しくて、叫びだしそうだ。決して声は上げられないけれど。
そんなことをしたら、全てが台無しだ。
連中は、意外と侮れない。気取られたら厄介なことになる。
ずっと、ずっと待っていた獲物を逃がすわけにはいかない。
条件に符号する、貴重な血と肉を―――
ここまで思考したところで、前方の闇の中に白いドアが浮かび上がった。ようやく目的の場所に辿り付いたようだ。
ゆっくりと歩み寄り、手を伸ばす。
―――やっと、手に入る。
ドアノブまであと少し、触れるか触れないかというところで突然、横から伸びてきた手にそれを阻まれた。
 そのまま手首を掴まれ、すごい勢いで引っ張られていく。
 引きずられるように歩いているうちに、あれほど高揚していた気分は 嘘のように消え去った。
 でも、自分を引っ張って歩いている人がわからない。
 この人は誰だろう?
 知らない人だと思う。でも、なんだか気になる。
 どうして?

 「あなた・・・誰?」
 問い掛けると、その人はぴたりと立ち止まった。
 「ここまで来れば大丈夫かな〜」
 そんなことを言いながら、振り返る。
 この人・・・知ってる気がする。でも、わからない。何もわからない。
 「あなた、誰?どうして私はここにいるの?」
 ぼんやりと聞き返したら、顔を顰められた。
 この人がこんな表情をしたら、誰かに似てる。ずっと見ていた気がするけど、誰だっけ。
 「あー、まだ抜けきってないね〜」
 彼はそう呟いて、私の目を覗き込んだ。
 「僕の目を見て」
 真っ黒な瞳。深い深い、夜の色。なんだか吸い込まれそうな気がしてくる。頭の中に霧がかかっていく。意識が霞んでいく。
 「僕の声をよく聞いててね。とても大切なことだから。他の事を考えてはいけないよ」
 独特のリズムで、ゆっくりと彼は喋っている。この声は、聞かなければいけない。それは、とても大切なことだから。
 「声に出して、ゆっくり数をかぞえてごらん」
言われるまま、数をかぞえる。
「いち」
「キミは人間だ」
「に」
「日本人で、」
「さん」
「女の子」
「し」
「年齢は17歳」
「ご」
「高校生で、」
「ろく」
「渋谷でアルバイトをしている」
「なな」
「そこには大切な人達がいる」
「はち」
「だからキミは独りじゃない」
「きゅう」
「僕が名前を言ったら、キミは全てを思い出す」
「じゅう」
「キミは谷山麻衣だ」
 ぱちん、と指を鳴らす音が響き渡ると、麻衣の瞳が急速に光を取り戻した。
 「あ、あれ?ジーン?」
 至近距離にジーンがいて、驚いたらしい。あたふたと周囲を見回している。
 ジーンはその様子にこっそり安堵の吐息を漏らしながら、無事を確認した。
 「気分はどう?自分のことがわかる?」
 「ヘイキだよ。ちゃんとわかる。あたしもしかして、こっちでも寝てた?
ちょっと違うんだけどね、と苦笑して話を続ける。
 「麻衣はさっきまでのこと、覚えてないよね?」
 「うん。全然覚えてないよ」
 しっかりと頷くのを確認して、彼は自問する。彼女に今、全てを話すべきだろうか。
――答えは、否。今、全てを話すべきではない。ここでのことは一部を除いて忘れるようにはするが、危険が大きすぎる。それにまだ、時期ではない。
 そう結論を出し、彼は口を開いた。
 調査に関する重要なことを、伝えるために。

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