荷物を足元に下ろして、ほっと一息つく。はっきり言って、疲れた。 でも、ここで疲れたなんて言っていられない。 これから調査場所へ向かうんだし。 しかも、移動時間はとんでもないくらいかかるし。 「搭乗開始」という表示を確認して、あたしはゲートへと向かった。 ―――国際線のゲートへ。 話は、三週間前へと遡る。 あの事件の翌日、オフィスへ行くと応接室にナルがいた。 所長室に篭っていないなんて、珍しい。さすがにファイルは持っていたけど。 そんなことを思いながらロッカーに向かうと、声をかけられた。 「麻衣、お茶」 ・・・さっき挨拶したら「ああ」で済ませて、次の言葉がソレかい。ちょっと人間としてどうかと思うぞ。 とは口に出さず、素直に返事をして給湯室へ足を向けた。 だって、機嫌悪そうだし。昨日の今日だし。 触らぬナルに祟りなし、だ。 触らなくてもたまに祟りはあるけれど、確率は低い方がいい。 お茶を出して、仕事に取り掛かろうと歩き出したら、呼ばれた。 「何?」 向き直ると、ナルの向かい側を綺麗な指で示された。 何か話があるらしい。・・・口があるんだから、ちゃんと言えよ・・・。 テーブルを回ってソファに腰を下ろした途端、ナルが口を開いた。 「調査が入った。二週間後だから、学校に届けを出しておくように。滝川さんたちにも連絡をしておいてくれ」 ここまでは、いつものことだった。ぼーさん達も最初から同行することはあまりないけど、それだけ今度の調査は危険が予想されるということだろう。 問題は、この次だった。 「今回の調査場所は、イギリスだ。パスポートの有無も確認して、持っていなければ取得するように伝えること」 ・・・はい?今、どこって言った? 「麻衣は去年、取ったそうだな。まどかから報告を受けている」 いや、確かに去年、まどかさんが所長代理の時に「所長がイギリス人なんだし、何かあったら困るでしょ〜」とパスポートは取らされたけど。 「調査は長期間にわたる可能性がある。そのつもりで荷物を持っていくように。話は以上だが、質問は?」 「―――なんで、イギリスなの?」 「調査がはいったから」 答えになってない。そんなことくらい、いくらあたしでもわかる。 「そうじゃなくて、イギリスってSPRの本部があるでしょ?なんでわざわざ、こっちに依頼が回ってきたの?」 途端、ナルの眉間に皺が寄った。 ・・・どうやら、地雷を踏んだようだ。部屋の気温が一気に下がったような気がする。 聞かなきゃよかった・・・!! 冷や汗をダラダラ流しながら固まっていると、視線の先で、ナルが笑った。・・・にっこりと。 そして、一言。 「聞きたいか?」 反射的にあたしは首を力いっぱい振った。 怖い。怖すぎる。 こんなナルから話を聞く度胸は、ない。 ナルは「そうか」と言って表情を戻す。 ううう、怖かった・・・。涙目になっているかもしれない。 「出発は二週間後の土曜だ」 それだけ言って、ナルはソファから立ち上がった。所長室へ戻るんだろう。 でも、何か引っかかる。二週間後の土曜って・・・あれ? 「あ!!」 思わず大声を出すと、ナルが振り返った。 「何だ」 「あの・・・、あたし二週間後の土曜から行くの、無理かも・・・」 「理由は?」 「その次の金曜まで、期末テストがあるんだよね。さすがにテストをサボるわけにはいかないよ」 ナルはしばらく考え、 「金曜は何時に終わるんだ?」 と聞いてきた。うっ、イヤな予感・・・。 「三時には終わると思うけど」 「なら、金曜の夕方のチケットをとっておく。直接行けば間に合うだろう」 ちょっと待て!! 「直接って、学校に荷物持っていくの!?次の日とかじゃ―――」 最後まで言葉を続けることは、できなかった。 ナルが、もう一度笑ったから。 「所長の僕としては、出来る限り譲歩したつもりですが?調査員の谷山さん」 ―――目が、笑っていない。 「はいっ!!学校が終わり次第、すぐに向かわせて頂きます!!」 かくして、話は冒頭へと至った訳だ。 制服で平日の国際便に一人、というのはとても目立つ。と、いうか完全に浮いている。流石に視線が痛い。 ランプが消えたのを確認してシートベルトを外し、通路との境のカーテンを閉めた。 ファーストクラスなだけあって、シートはふかふかだ。これならよく眠れるだろう。 麻衣は備え付けのブランケットをかぶって目を閉じると、瞬く間に眠りの世界へと落ちていった。 |