結論から言えば、その日ナルに事情を聞くことはできなかった。 教えてもらえなかった、ということではなく、それ以前の問題だった。 ・・・所長室に、入れなかったのだ。 ・・・怖くて。 オフィスに戻ると、すでに問題のお客さんはいなくなっていた。応接用のソファーにはリンさんが座っている。 なんだか、ものすごく疲れているみたいだ。影が薄くなってしまっているような気がする。 (これは、今すぐお茶が必要かも・・・) 急いで給湯室に行って、お茶を煎れる。いつもより、丁寧に。温かいお茶は疲れを軽減してくれるから。 ちょっとしたお菓子とお砂糖を添えてリンさんの前に置くと、驚いたように顔を上げた。私と安原さんが戻ったことに、今気づいたらしい。 「疲れてる時は甘いものがいいんですよ。良かったら、どうぞ。」 と言ったら、ふっと目元を和ませて「ありがとうございます」と返された。 なんだか、嬉しい。 へらり、と笑って安原さんと自分の分を給仕すると、残るはナルの分だけになった。 トレイを持って、ドアの前に立つ。ノックしようと手を上げて・・・固まった。 ドアの隙間から、冷気が漂っているような気がする。 ここは日本で、東京で。単なるオフィス用のビルだから、大型冷蔵庫なんてついているわけがないのに。 ましてや、北極と繋がってる、なんてことは有り得ないはずなのに。 ―――ドアを開けると、そこはもう雪国だった――― そんなフレーズが頭をよぎるのは、何故だろう? トレイをまま硬直していると、後ろから声がかかった。 「今、入らない方がいいと思いますよ。・・・・色々ありましたので」 それは、要するに、ナルが切れているということで。 下手をすれば、まどかさんに抗議の電話をかけている真っ最中かもしれない。 そんな部屋に入る勇気は、なかった。私だって自分の身が可愛い。 くるり、と回れ右をして、自分の机へと戻る。 そして何事もなかったようにお茶を飲んで、仕事にとりかかった。 その後、終業時間までナルが出てくることはなく、他の人間もわざわざ所長室に入るような真似はしなかった。 後から考えると、この日こそが全ての始まりだったのだろう。 だが、この時にそんなことがわかるはずもなく、表面上は平和に一日が終わっていった。 |