その日事務所に行くと、安原さんが立っていた。 珍しい。 仕事中に外に出るなんて、買出しくらいなのに。 しかも、何か考え込んでいるようだ。 何かあったのかな。 「安原さん?」 背後から声をかけると、びくん、と身体が震えた。 どうやら私に気付いていなかったらしい。 天気予報では、今日は晴れだと言っていた。だから、傘は持ってきていない。 (雨が降ったらちょっと困るなぁ・・・) とか考えている間に、安原さんは態勢を立て直したようだ。 「すみません、少々考え事をしていたもので・・・。谷山さん、来た早々なんですけど買出しに行きませんか?」 「いいですよ〜。それじゃ、ちょっと荷物置いてナルにお茶淹れてきますね」 と、ドアに手をかけようとしたら、腕を掴まれた。 何事かと思って安原さんを見上げると、 「事情は後で説明します。今は入らない方が身のためですよ〜」 と、いつもの笑顔を向けられた。 そして、そのまま歩き出す。 私の腕を掴んだまま。 納得はいかなかったけど、素直についていくことにした。 だって、あの安原さんが言うことだし。 なんだか、中の雰囲気が張り詰めてたような気がするし。 あたしは安原さんの忠告と自分の勘に従った。 しばらく歩くと、ようやく安原さんが腕を放してくれた。 「突然すみません。あまり紳士的じゃありませんでしたね」 確かに、ものすごく驚いた。 「今、事務所にお客さんが来てるんです。イギリスから」 イギリス?ってことは、たぶんナルのお客さんだろう。 「なんだか、とても偉そうな方々で。取り次ぎが終わったら追い出されちゃったんですよ」 うわぁ、安原さんを追い出せるなんて、どのくらい偉そうな人だったんだろう?ちょっと気になる。 でも、あれ? 「ナルは何も言わなかったんですか?」 ナルは相手がどんなに偉かろうと、自分の考えは曲げない人間だ。必要ないことはやらせない。 「それが、所長からも席を外すように言われまして。所長室に通す気は無さそうでしたし」 それはつまり、あまり聞かれたくない話で、尚且つそのお客は気を許せない相手だということだ。 イギリスから来て、すごく偉そうで、話を聞かれたくなくて、気を許せない相手。 ・・・・気になる。 ・・・・ものすごく、気になる。 安原さんを見上げると、爽やかな笑顔が返ってきた。 胡散臭いくらい、爽やかだ。 「ですから僕、あそこで谷山さんを待ってたんですよ。もし中に入っちゃったらかなり気まずそうでしたし」 ドアの真横で? わざわざ、中から見えないところで? ・・・人が近づいても気付かないくらい、何かに集中して? 「・・・もしかして、安原さん・・・立ち聞きしてました?」 「やだなぁ、人聞きの悪い。偶然聞こえちゃっただけですよ。しかも、思いの他谷山さんが早く来たので詳しいことは何もわからなかったんですよね〜」 あたしは冷や汗を流しながら、待っていてくれたことのお礼だけ言った。 だって、つっこんでも聞いても無駄だろうし。 あの安原さんだし。 「あ、紅茶が残り少なくなってたんで、帰りに寄ってもいいですか?」 「もちろんですよ」 気になることは、帰ってからナルに聞いてみよう。 教えてくれるとは思えないけど、今ここで考え込んでいても買出しは終わらない。 麻衣は考えることを中断すると、安原に続いて事務用品店へと足を踏み入れた。 麻衣には「わからなかった」と言ったものの、安原は実は全て聞いていた。 ナルは、安原が出て行く際に「麻衣にも伝えておいてください」と言ったのだ。 まだ学校が終わるには早い時間だったので、ナルが学校に電話すれば済む話だったにも関わらず。 それなのに、わざわざ安原に頼んだ。 麻衣は、携帯を持っていない。 学校へ向かっても行き違いになる可能性がある。 となると、必然的に事務所の前で待つことになる。 そして、その時事務所内での会話は全て英語で交わされていた。つまり、客に「事務員に席を外すよう指示した」という認識をさせたのだ。 まぁ、それまでの会話が相手に合わせて英語だったということもあるのだろうが。 これらの点を総合して考えると、「客に気付かれないのであれば話を聞いても構わない」という意向が浮かび上がってくる。 「麻衣には知られないように」という条件も。 話の内容を考えると、その条件の理由もよくわかった。 ・・・自分でも驚きが大きくて、麻衣が来たのに気付かなかったのは不覚だったが。 まぁ、あまり大きな失敗ではないだろう。中の話は白熱していたから、客がこちらに気付いたとは思えない。 (これから忙しくなりそうだなぁ・・・) 麻衣に気付かれないよう、そっと溜息をつくと、安原は事務用品店へと入っていった。 |