不機嫌な理由とご機嫌な理由。


「………」
 滝川がオフィスのドアを開けた瞬間、そこは極地の様に寒かった。

「で、今度は何があったんだ?」
 所長室に篭城を決め込んだナルを尻目に、滝川は麻衣に尋ねた。
「約束すっぽかされた」
 不機嫌な声の割には、彼女の表情は明るい。
 その胸には小さな猫がいたのだ。
「それでこの有様か…」
「だって…!」
 と言いかけて麻衣は口を噤む。
「ま、言うだけ言ってみろ。話せばすっきりするぞ」
 うん、と麻衣はぽつりぽつり話し始めた。

 事の起こりは先週だった。
 付き合い始めてナルが初めて麻衣を誘った。
『麻衣』
『なーに?』
『今週の土曜日、どこかに行かないか?』
『はぁ?』

 一生に一度あるか無いかの出来事に、麻衣は驚くと共に「明日は雨か雪だな」と思っていた。

『嫌ならいい』
『行く行く!!』

 と約束をしたは良いが、当日の待ち合わせ場所にナルは来なかったのである。
 約半日待たされた麻衣が怒るのも無理はなかった。

「そりゃあ災難だったな」
「うん…でも、“ごめん”って一言でも言ってくれればまだ救われたんだけどね」
「言ってないのか?」
 こくり、と麻衣が肯く。
 滝川が来る30分ほど前に出勤した麻衣は、すぐさまナルにそのことを問い詰めた。
 すると、ナルの反応は意外にも冷めたものだった。

『ねえ、ナル。なんであの時来てくれなかったの?』
『あの時?』
『先週の土曜日!』
 そう言われて初めてナルは、麻衣と約束していたことを思い出したのだ。
『忘れてた、の…?』
 恐る恐る訊ねてみるが、ナルの態度を見れば一目瞭然だった。
『ナルの馬鹿っ!』
 麻衣は怒りに身を任せたままオフィスを飛び出した。
 そしてナルが心配しながら待っていると、麻衣は仔猫を抱いて帰って来たのだ。
 その仔猫がまた騒動の原因でもあった。
『どうするつもりだ?』
『…飼い主が見つかるまであたしが飼うの』
 と麻衣は仔猫にべったりで、ろくにナルの方を見向きもしなくなったのだ。
 仔猫は麻衣の胸に抱かれて、幸せそうに喉を鳴らしている。
 人一倍麻衣に対して関心が強いナルには、到底耐えられるものではなかった。
 傍目から見ても分かるほど不機嫌なオーラを出しているのにも関わらず、麻衣は仔猫ばかり可愛がる。
 そこへ運悪く滝川が来てしまったのだ。


「で、飼い主はどうするんだ?」
「うん、あたしが飼いたいのは山々なんだけど…アパートじゃ飼えないから、友達とかに当たってみる
よ」
「何なら俺がしばらく預かってやろうか?」
「本当!?」
「可愛い娘の頼みだ」
「ぼーさん、ありがと〜!!」
 麻衣が滝川の首に抱きついた時、静かな音を立てて所長室のドアが開いた。
 まぁ、中にいる人物と言えば一人だけで…
予想に反さず現れたのはナルだった。
ばっちり滝川と視線を合わす。
(俺、殺されるかも…)
 ナルの存在に気付いた麻衣が、くるりと振り返って言う。
「あ、ナル。あたし今日ナルの家に行かないから」
ナルの片眉が跳ね上がる。
「何故?」
「ぼーさんの家に泊まるの」
 ナルの機嫌が見る間に降下して行くのを知ってか知らずか麻衣は続けた。
 滝川は背中を冷たい嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。
(短い人生だったな…)
 と、自分の生涯を振り返る。
「さっき、猫拾って来たでしょ?ぼーさんがしばらく預かってくれるって言うから、あたしもしばらく一緒に生活するの。ちょっと一緒に居たらなんだか可愛く思えて来ちゃった」
 麻衣は猫の頭の撫でると、猫も麻衣の頬に頭をすり寄せる。
 ナルの機嫌はますます悪くなるばかりだった。
「ぼーさん、少し預かってくれ」
 強引に猫と麻衣を引き離すと、ナルは麻衣を所長室に連れ込み乱暴にドアを閉めた。
「ちょっ、痛いよ!」
 麻衣は自分の腕を掴むナルの手を振り解こうとするが、所詮は女の力。細いとは言え、男であるナルの腕力とは比にならない。
「まだ怒っているのか?」
「当たり前でしょ!ナルから誘って来たのに、言った本人がすっぽかすってどうよ!?」
 かなり楽しみにしていただけ、約束を反故にされた麻衣の怒りは深い。
 しかも反故にした当の本人は謝りもしない。
「…すまなかった」
「そう思うなら、最初から謝ってよ。そしたら変に意地張らなかったよ…」
 心底すまなそうに謝るナルに、こちらの方に非があるように感じた麻衣は視線を落とす。
 不意に麻衣の視界に影が落ちると同時に麻衣はふわりと抱き締められた。

「すまない」
「…馬鹿…」

 泣きそうな声で麻衣は言った。
 ナルは抱き締める腕に力を込める。
「埋め合わせはする」
「うん」
 優しい言葉に、麻衣は彼の肩に額を当てる。
「何をして欲しい?」
「…当分、ナルとシない」

 ぐっとナルが詰まったのが解った。
 それが彼にとって痛手なのは麻衣には解り切っていた。
「それでいいよ」
 内心舌を出しながら麻衣は、表面上は悲しそうに振舞う。
 しかし、麻衣の思惑はそうは簡単にはいかなかった。
「っ、ナル!?」
 麻衣はソファの上に押し倒されてしまった。
「ならその分、今からすれば何の問題も無い」
「あたしにはあるっ!!」
「問答無用」
 手足をばたつかせて麻衣は足掻くが、ナルは聞く耳を持たなかった。


 約1時間後、所長室から腰を押さえて出て来た麻衣はまだ何やらご機嫌ナナメのようだったが、滝川は敢えて追及はしなかった。
 なんとなく、麻衣が腰を押さえている理由も不機嫌な理由も(知りたくはなかったが)分かってしまったのだ。
 結局、約束を反故にしたはずのナルだけが機嫌を良くしていた。




momo様から相互リンク記念に頂きました。このようなヘボサイトに、こんなに素敵なssをくださってありがとうございます!!そして、掲載が遅くなってしまってごめんなさい。ナルをやり込めようとして逆襲されてしまう麻衣ちゃんが可愛くて可愛くて・・・vv本当にありがとうございます!!
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モドル