Dusk Prayer



 スーツケースを持ち、玄関へと向かう。麻衣は、まだ眠っているのだろう。昨夜は少し、無理をさせてしまったようだ。

 見送りに行きたい、と言っていたのを思い出して足を止めるが、疲れ切って眠っている彼女を叩き起こすのは憚られた。何しろ、原因は自分にあるのだ。起こせる訳がない。

 書置きはしてきた。怒るだろうが、おそらく大丈夫だろう。そう結論づけると、再び歩き出す。と、その時。

 背後から、何かがぶつかってきた。

 不意をつかれたものの、かろうじて転倒を免れたナルが振り返ると、麻衣がしがみついていた。

 (起きたのか)

 だが、様子がおかしい。ナルの背中に顔を埋めたまま動かない。

 「どうした?」

 返答は、ない。

 「麻衣」

 少々きつめに名前を呼ぶが、反応しない。嫌な夢でも見たのだろうか。

 時計を見れば、、もう出なくては間に合わない時間だ。今の時期、飛行機に乗り遅れるとチケットの取り直しは難しい。

 「・・・・・・だよ」

 どうしたものかと考えていると、麻衣が何か呟いた。声が小さく、聞き取ることができない。

 「麻衣?」

 聞き返すと、突然麻衣が顔を上げた。

 「行ったらダメ!!」

 叫ぶと同時に、華奢な体が力を失って崩れ落ちる。

 咄嗟に支えると、麻衣は意識を失っていた。

 呼吸を脈拍を確認するが、異常はない。表情は穏やかで、どうやら眠っているようだ。

 ナルは溜息を一つおとすと、麻衣を抱き上げて寝室へと向かった。







 ベッドの上に寝かせ、上掛けをかけても起きる様子はない。眠りは深いようだ。

 ベッドの端に腰を下ろし、柔らかな髪を梳きながら考える。先程のはどういうことだろうか。

 一ヶ月前から、イギリスに行くことは知らせてあった。

 昨夜も、見送りに行きたいと拒まれた。(結局言いくるめたが)

 僅かに寂しそうではあったものの、行くのを止めることはなかった。むしろ、たまには親孝行してこい!と言われたのだ。

 一体、何があったというのだろう。

 昨夜は自分より先に眠りに落ち、今朝はあの時まで起きた様子は無かった。と、なると可能性は―――

 (夢、か)

 思い至ると、胸が軋んだ。無意識にシャツの左胸をきつく抑える。

 夢の世界には、片割れがいる。

 ―――麻衣が、想いを寄せていた片割れが。

 彼女の気持ちを疑うわけではない。あれほど真っ直ぐに想いを向けられて、疑う方がどうかしている。

 しかし、夢の中まで自分が干渉することはできない。

 己の手の届かないところで麻衣とジーンが会っている。

 それを思うだけで、胸が軋みをあげる。

 愚かな、と自分でも思う。それでも、この軋みを封じることはできなかった。

 麻衣を己の元に縛り付けておきたい、という思いが存在するのも事実だったから。

 この軋みは、麻衣と共に在る限り一生付いて回るものだろう。


 ん、という微かな声で、ナルは現実へと立ち戻った。

 「起きたのか?」

 声をかけるが、返答はない。

 代わりにぱちり、と目を開き、ナルを見据えた。

 その瞳の色は、漆黒。鳶色ではない。

 驚きで息をつめた瞬間、麻衣の手がなるの目をおおった。

 何を、と思う間もなく、声が響く。

 「ごめん、ナル。少しの間だけ寝てて」

 暗示だと気付いた時にはすでに遅く、意識は闇の中へと落ちていった。










 ――――何かが耳元で鳴っている。携帯だろう。

 ふと、不思議に思う。
 
 何故、自分は寝ているのだろう?

 今日は、学会のために一時帰国する予定だったはずだ。

 確か、スーツケースを持って玄関に向かったところで麻衣が―――

 思考がそこまでいった瞬間、ナルは跳ね起きた。

 携帯はすでに鳴り止み、沈黙が部屋を満たしている。

 傍らに目をやると、麻衣はまだ眠っていた。

 観察してみるが、異常は感じられない。

 しかし、先刻のあれは確かに―――

 突然、携帯が鳴り始めた。時計はすでに昼過ぎを指している。二時間ほど眠らされていたようだ。

 当然、飛行機の時間は過ぎている。
 
 携帯のディスプレイに目をやると、まどなの名が表示されていた。

 (こちらから連絡する手間が省けたな)

 通話ボタンを押し、耳元にもっていくとまどかの声が響いた。

 「ああ、やっと通じた!!ナル、無事だったのね!?良かった・・・。あなたに何かあったらどうしようかと・・・」

 電話の向こうで、まどかは微かに涙ぐんでいるようだ。

 何か、おかしい。

 「色々あって、飛行機には乗れなかった。何があった?」

 「そうなの・・・。テレビをつけたら、わかるわ」

 言われるままリビングに行き、テレビをつける。

 画面の中ではキャスターが早口で喋っていた。

 下のテロップには、「航空機墜落か!?」という見出しが躍っていた。便名は9645便。

 ―――9645便?確か、自分が乗る予定だったのは・・・

 「もう、わかったでしょう?本当に無事で良かった・・・!!」









 まどかとの通話を終えて寝室に戻ると、麻衣はまだ眠っていた。だが、それに構わず声をかける。

 「お前の仕業か?――ジーン」

 麻衣がぱちり、と目を開き、身を起こす。その瞳の色はやはり、黒。

 「やっぱりばれちゃった?」

 「当たり前だ。大体、瞳の色が違う」

 憮然としてナルが答えると、麻衣――ジーンは「あちゃー」と呟いて頭を抱えた。
 
 「しまったなぁ、麻衣て色素が薄いもんねぇ〜。うーん、目の色だけは変わらないのか〜」

 ぶつぶつと何やら言っているのを無視して、問いかける。

 「僕を引きとめたのは、お前じゃないだろう?」

 質問の形はとっていたが、それは確認だった。

 ジーンもそれに気付き、苦笑する。

 「うん、僕はナルを眠らせただけ。あれは麻衣の力だよ。・・・残念だけどね」

 予想通りの答えに、ナルは目元を鋭くする。

 強すぎる力は、身を滅ぼす。ただでさえ麻衣の力は強くなりつつあるというのに、これ以上能力が増えるのは喜ばしいことではなかった。

 「麻衣は未来視の素質も持っているんだよ」

 「サキミ?」

 そう、と頷いてジーンは説明を続ける。

 「夢見とも言うんだけど、少し先の未来を読むことができるみたいだね。サイコメトリと少しだけ似てるかな」

 そこで一旦言葉を切ると、ジーンは目を閉じた。そのまま、言葉を続ける。

 「麻衣がどのくらいの力を持っているのか、僕にもわからない。でも、かなり強い能力だってことは確かだよ。だから、気をつけて。暗闇にいる者にとっては、喉から手が出るほどほしい体だから」

 「―――わかった」

 ナルの言葉に頷くと、ジーンは目を開いた。

 瞳の色が薄くなってきている。

 「ジーン、麻衣はどうしている?」

 「無意識に慣れない力を使って疲れたみたい。かなり深く眠ってるよ。しばらくは動けないと思うから、無理はさせないようにね」

 「無意識、ということは、麻衣自身は能力に気付いていないのか?」

 「うん。たぶん、起きてもさっきのことは覚えてないんじゃないかな。能力のことは、しばらく伏せておいた方がいいかもしれない」

 「ああ。他の能力を制御できるようになるまでは、暗示をかけておく」

 「それがいいと思うよ。さて、そろそろ眠くなってきたから僕は戻ろうかな。――おやすみ、ナル」

 最後の言葉と同時に、身を起こしていた麻衣が倒れるのを支え、再びベッドに横たえる。

 乱れた髪を整えてやりながら、ジーンの言葉を思い出していた。

 ―――誰が、渡すものか。

 湖のほとりで泣く彼女を見て、一度は諦めようと思った。

 だが、できなかった。

 焦がれて、焦がれて、ようやく手に入れた唯一の存在。

 ―――誰が、渡すものか。

 ―――絶対に、守り抜く。

 強く、思う。

 だが、それと共にじわり、と予感が広がる。

 不吉な、イメージが。

 自分には予知能力はない。これは、喪失の過去を持っているから不安をかきたてられているだけだ。

 そう自分を無理矢理納得させ、ナルは眠りの世界へと落ちていった。

 麻衣を、しっかりと抱き寄せて。

 ―――これが、予兆だということも知らずに。





 全ては、ここから始まる。




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アトガキ
 ここまで読んでくださってありがとうございます〜vv
 ナル麻衣小説を書こうと思ったのですが、麻衣ほとんど出てませんね。・・・・・なんでだろう?むしろお兄ちゃん大活躍ですね〜・・・。
 このサイトでの設定は、これを読めばほぼわかりますよvという代物に仕上がった作品です。

 実はこの話、別バージョンがあります。と、言いますか、最初に書いたのはそちらでした。しかし、何故かかなり暗くなってしまいまして、「こりゃあまずい」と思い急遽こちらを書きました。(ある意味ハッピーエンドなんですよ?ある意味、ですが)
 もし、そちらの話を読みたいという方がいらっしゃいましたら、管理人までメールでお知らせください。折り返し、URLを送らせていただきます〜。あ、裏的要素はありません(笑)